第20回 ジャパンカップ 2000年
2000年のジャパンカップで1番人気に支持されたのはテイエムオペラオー。前年1999年の皐月賞馬は、この2000年に更なる進化を遂げた。2月の京都記念に始まり、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念、京都大賞典、天皇賞(秋)と6連勝。特に距離短縮、外枠など、不安材料が多かった前走の天皇賞(秋)の勝利は、陣営に大きな自信を与えた。1.5倍という単勝オッズは、その信頼の現れと言えるだろう。
国内には、テイエムオペラオーの「敵」となるべき存在がいない。破るとすれば外国馬だろう。そのような形で2番人気に支持されたのは、イギリスのファンタスティックライトだった。2000年のマンノウォーステークス。鞍上はランフランコ・デットーリ。名手の手綱捌きでテイエムオペラオーに迫れるか?
レースは、ステイゴールドがハナに立ってレースを引っ張る形に。1000メートル通過は63秒0。かなり緩い流れとなった。直線に入っても粘る姿勢を見せるステイゴールドだったが、後ろには決め手のある実力馬が揃っている。馬群の中央から、やはりテイエムオペラオーが伸びてきた。その内側からメイショウドトウが懸命に追いすがる。そして、外からファンタスティックライトが伸びてきた。この3頭の叩き合いはゴール板まで続く。しかし内のメイショウドトウも、外のファンタスティックライトも、テイエムオペラオーを交わすことが出来なかった。テイエムオペラオーが先頭でゴール、鞍上・和田竜二の手が上がる。クビ差の2着にメイショウドトウ。そのメイショウドトウとはハナ差3着に敗れたのが、ファンタスティックライトだった。
ゴール直後、デットーリが馬上から和田竜二に手を差し出す。二人はハイタッチを交わした。その様子はデットーリが「お前の馬、強いよ」と言っているようにも見えた。世界の名手が認めたテイエムオペラオーの強さは、後にファンタスティックライトが次走の香港カップを優勝したことで、改めて証明された。カイバが細く、輸送に不安があるということで、海外遠征は行わなかったテイエムオペラオーだが、もし海外に行っていたら・・・。この年の競馬を見て、そんな事を思ったファンは少なくなかった。
第19回 ジャパンカップ 1999年
1999年のジャパンカップで単勝1番人気に支持されたのは外国馬だった。その外国馬は、この年の凱旋門賞を制したフランスのモンジュー。日本のファンは皆、この馬の強さを知っていた。何故ならその凱旋門賞では、1998年のジャパンカップ優勝馬エルコンドルパサーを破っているのである。
2番人気はスペシャルウィーク。この年は春秋の天皇賞を制している。前年1998年のジャパンカップでは3着に敗れているが、その当時よりも成長した姿を見せることが出来るのか、どうか。
3番人気はドイツのタイガーヒル。1998年、1999年のバーデン大賞を連勝。この1999年はバイエルンツフトレネンも制しており、G1レース3勝を挙げている。
レースはアンブラスモアがハナを切る形でスタート。1000メートル通過は60秒2とほぼ平均ペースで流れた。スティンガー、タイガーヒル、香港のインディジェナスなどが続く。4コーナーから直線へ。イギリスのフルーツオブラヴも進出してきた。そして、後方で脚を貯めたスペシャルウィークが、馬群の外から豪快に抜け出しを図る。モンジューは更に後ろから追い込んだが、しかしなかなか伸び切れない。最後はスペシャルウィークが、2着のインディジェナスに1馬身1/2差をつけて完勝。3着は英国のハイライズ、4着はモンジューと、外国馬を突き放しての勝利となった。
スペシャルウィークの鞍上は武豊。武豊にとって、これが初めてのジャパンカップ制覇となった。思えば前年1998年に武豊が初めてダービーを制したのも、このスペシャルウィークとのコンビによるものだった。武豊の騎手人生において、特別な勝ち星を2つももたらしたスペシャルウィークは、きっと特別な馬であるに違いない。
第18回 ジャパンカップ 1998年
1998年のジャパンカップで1番人気に支持されたのはスペシャルウィーク。この年のダービー馬が、ダービーと同じ府中の芝2400メートル戦に戻ってきた。しかし鞍上は、主戦の武豊が騎乗停止中のため、岡部幸雄がピンチヒッターを務める。名手から名手への乗り替わりではあるが、どう影響するのか?単勝オッズ3.3倍と絶対的な人気にならなかったのは、そんなファンの不安が数字となった結果だろう。
2番人気はエアグルーヴ。1996年のオークス、1997年の天皇賞(秋)を制している。1997年のこのレースでも2着に入っているが、この年は前走のエリザベス女王杯で3着に敗れていた。中1週での参戦が、どう影響するのか?
3番人気はエルコンドルパサー。NHKマイルカップを制している3歳馬である。当時はダービーの出走権がなかった外国産馬だが、このジャパンカップでダービー馬スペシャルウィークとの初対決の日がやってきた。
レースはスタートでやや出遅れ気味だったサイレントハンターが、それでもハナを奪いに行く展開に。エルコンドルパサー、エアグルーヴ、スペシャルウィークは、そのサイレントハンターを直後で見ることが出来る、好位からのレースとなった。
4コーナーから直線へ。直線では人気馬3頭の叩き合いとなった。3頭の中から抜け出したのはエルコンドルパサー。エアグルーヴも、スペシャルウィークも懸命に追いすがるが、その差はなかなか詰まらない。エルコンドルパサーが先頭でゴール板を通過した時、2着エアグルーヴとの差は2馬身1/2。スペシャルウィークはエアグルーヴから更に1/2馬身遅れて3着。同期の外国産馬に完敗の形となった。
このジャパンカップでスペシャルウィークを破ったことで、エルコンドルパサーが世代トップの座についた、という評価になったということだろうか。エルコンドルパサーは翌年1999年より、戦いの場を海外に移すことになった。そしてサンクルー大賞を制して、凱旋門賞でも2着。ジャパンカップの勝利から、更なる飛躍を遂げたのであった。
第17回 ジャパンカップ 1997年
1997年のジャパンカップで単勝1番人気に支持されたのはバブルガムフェロー。前年2006年の天皇賞(秋)を制している。天皇賞(秋)連覇を目指した前走で、同世代の牝馬エアグルーヴにまさかの敗戦。距離が伸びるジャパンカップで巻き返しとなるのか?
そのエアグルーヴが2番人気。府中の芝2400メートルは、前年1996年のオークスを制した舞台でもある。マーメイドS、札幌記念、天皇賞(秋)と3連覇した勢いが、このジャパンカップでも発揮されるのだろうか。
3番人気はイギリスのピルサドスキー。前年1996年のバーデン大賞、ブリーダーズカップターフ、1997年のエクリプスステークス、アイルランドのチャンピオンステークス、更にイギリスのチャンピオンステークスを制している。凱旋門賞は1996年、1997年と2年続けて2着。世界的な名馬が、このジャパンカップにやってきた。
レースはツクバシンフォニーが逃げて、1000メートル通過は60秒8のほぼ平均ペース。エアグルーヴとバブルガムフェローは好位から、ピルサドスキーは中団からのレースとなった。直線でエアグルーヴとバブルガムフェローが抜け出し、前走の天皇賞(秋)を思わせる展開に。しかしその内から突き抜けてきたのが、ピルサドスキーだった。前走同様、バブルガムフェローとの競り合いでは負けなかったエアグルーヴだが、さすがにこのピルサドスキーの「世界の脚」には叶わない。クビ差で先着を許す形で2着に敗れる。府中に集まったファンも、ピルサドスキーの優勝に納得せざるを得なかった。
ピルサドスキーを管理しているのは、イギリスのマイケル・スタウト調教師。世界を代表する名トレーナーは、前年1996年のシングスピールに続いて、ジャパンカップ2連覇を果たすことになる。世界を代表する馬とホースマンが活躍するジャパンカップに、日本のファンも酔いしれる結果となった。
第16回 ジャパンカップ 1996年
1996年のジャパンカップで単勝1番人気に支持されたのは、フランスのエリシオ。この年のリュパン賞、サンクルー大賞、凱旋門賞とG1レース3勝を挙げている。
2番人気はバブルガムフェロー。前走は3歳馬としては史上初となる天皇賞(秋)優勝を果たしている。その前走時はアメリカ遠征中で騎乗できなかった、主戦騎手の岡部幸雄も戻ってきた。日本代表として、注目を集める存在だった。
3番人気はイギリスのペンタイア。この1996年はキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制している。
レースはカネツクロスが逃げて、1000メートル通過は59秒4。このカネツクロスをエリシオと秋華賞馬ファビラスラフィンがマークする形でレースは流れた。そのファビラスラフィンが、好内容のレースぶりを見せる。直線でカネツクロスとエリシオの間から抜け出して、先頭に立ったのだ。人気のバブルガムフェローが伸びを欠く中、このファビラスラフィンの奮闘ぶりに注目が集まる。
しかし、そのファビラスラフィンに並びかける馬が1頭。シングスピールだった。2頭は馬体を合わせての叩き合い。そのまま、並んでゴール板を駆け抜けた。写真判定となったが、2頭の鞍上は既に結果がわかっていた。シングスピールの鞍上、ランフランコ・デットーリの手が高々と上がる。勝ったのはシングスピールだった。
ファビラスラフィンの鞍上、松永幹夫も完璧な騎乗をしたに違いない。レース後、メディアを通して出た彼のコメントが印象深い「誰だ、デットーリなんか(ジャパンカップに)呼んできたのは」。口取りの後、デットーリお得意のフライングディスマウントが、東京競馬場の大観衆の前で披露される。世界最高の騎手が見せた騎乗ぶりに、多くの日本のファンが酔いしれたジャパンカップとなった。
第15回 ジャパンカップ 1995年
1995年のジャパンカップで1番人気に支持されたのはナリタブライアン。1994年の3冠馬だが、この年の阪神大賞典優勝後に股関節炎を発症。復帰戦となった前走の天皇賞(秋)は、12着に敗れていた。主戦騎手の南井克巳は落馬負傷で休養中。このレースでは武豊が代わりに手綱を取った。
2番人気はヒシアマゾン。オールカマー、京都大賞典を連勝してのジャパンカップ参戦となった。前年1994年以来のG1タイトル獲得を目指す。
3番人気はアメリカのサンドピット。前年1994年は5着、今回が2度目の来日となった。 2度目の日本ということで、馬も関係者も慣れが見込めるに違いない。
ハナを主張する馬がいないメンバー構成。レースは押し出されるように、タイキブリザードが先頭に立つ。1000メートル通過は61秒0。やはり緩い流れの競馬となった。スローペースの競馬は4コーナーから直線へ。ゴールまでの決め手比べとなる。ならば、ナリタブライアンだ!と思った日本のファンは少なくなかった。しかし、ナリタブライアンは伸びを欠く。それでもその外から、ヒシアマゾンが伸びてくる。日本のファンはヒシアマゾンに期待をかける。
しかし馬場の中央から先に抜けだしている馬が1頭。ドイツのランドだった。外から懸命に追い込むヒシアマゾンだったが、2着に上がるのが精一杯。ランドが1馬身1/2差をつけて、先頭でゴール板を駆け抜けた。
ランドの鞍上はマイケル・ロバーツ。短期免許で日本での騎乗経験を持ち、日本の競馬を知り尽くしていた。このランドはロバーツの「日本の馬場に合う」という陣営への進言で、来日が実現した馬だという。世界も、そして日本も知り尽くした名手によるジャパンカップ勝利に、日本のファンも大きな拍手を送ったのだった。
第14回 ジャパンカップ 1994年
1994年のジャパンカップは、外国馬が単勝上位人気を占める形となった。1番人気はアメリカのサンドピット。前走でサンタアニタのG1、オークツリー招待を制しての来日となった。
2番人気はアメリカのパラダイスクリーク。この1994年のアーリントンミリオンなど、G1レース4勝を挙げている。前走のブリーダーズカップターフは3着だった。
3番人気はフランスのアップルツリー。この馬もこの1994年のサンクルー大賞など、G1レース4勝を挙げている。前走の凱旋門賞は3着だった。
レースはサンドピットと日本のフジヤマケンザンが引っ張る形で流れた。1000メートル通過は59秒1。やや速い流れだったかもしれない。途中からはサンドピットがフジヤマケンザンを振り切って単騎逃げの形に。4コーナーから直線に入る。
直線でパラダイスクリークが先頭に並びかける。海外での実績は本物だ。しかしファンは、そのパラダイスクリークの内側から伸びてくる1頭の存在に気が付き、声を挙げる。その馬は日本のマーベラスクラウンだった。内側からパラダイスクリークに並びかけ、鼻面を揃えるような形で並んでゴール板を駆け抜けた。
マーベラスクラウンの鞍上は南井克巳。ゴールの瞬間、南井は自分が先着していると思いつつ、やはり自信がなかったのか、首を傾げるような仕草を見せた。勝敗の行方は写真判定に持ち込まれた。パラダイスクリークとともに芝コースを引き上げる南井克巳とマーベラスクラウン。ゆっくりとスタンド前に戻ってきたその時に、写真判定の結果が出た。ハナ差でマーベラスクラウンの勝利である。結果が出た瞬間、南井の手が高々と上がる。そしてウイニングランが始まった。
1992年からジャパンカップは国際G1競走に格付けされ、来日する外国馬のレベルも高くなった。しかし、このレベルの高い外国勢を相手に日本馬が3連覇。日本競馬のレベルが高くなっていることを、印象づけるジャパンカップとなった。
第13回 ジャパンカップ 1993年
1993年のジャパンカップで単勝上位人気に支持されたのは、全て外国馬だった。1番人気はアメリカのコタシャーン。オークツリー招待、ブリーダーズカップターフを連勝してのジャパンカップ参戦だった。
2番人気はイギリスの3歳馬ホワイトマズル。5月にイタリアダービーを優勝。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、凱旋門賞で2着に入っている。
3番人気はアメリカのスターオブコジーン。アーリントンミリオン、マンノウォーステークスのG1レース2勝を挙げている。
レースはメジロパーマーがハナに立って引っ張る形に。1000メートル通過は60秒0。それほど速い流れではない。その直後にレガシーワールド、マチカネタンホイザら日本勢が前でレースを進めた。
4コーナーから直線へ。レガシーワールドがメジロパーマーを交わして先頭に立つ。道中の流れが緩かった分、前にいたレガシーワールドには余裕がある。ラチ沿いを懸命に粘り込む形となった。後続からは何が来るのか?馬場の中央からコタシャーンが飛んできた。誰の目にも分かる強烈な末脚だった。しかし、レガシーワールドも勢いは衰えていない。コタシャーンに1馬身1/4差をつけて、レガシーワールドが先頭でゴール。G1初制覇となった。
レース後、コタシャーンの鞍上ケント・デザーモがゴール板を間違えて、ゴールの手前で馬を追うのを止めていたことが判明。大きく報じられた。しかしレガシーワールドの鞍上、河内洋は、デザーモが最後まで追っていたら1・2着は入れ替わっていたという見方を否定する。レガシーワールドは、自ら強い競馬で押し切っていると主張する。勝負の世界に「タラ・レバ」はない。その事を認識させられたジャパンカップだった。
第12回 ジャパンカップ 1992年
この1992年より、ジャパンカップは国際G1競走に認定された。来日する外国馬のレベルが一気に上がる。単勝1番人気に支持されたのは、イギリスの3歳牝馬ユーザーフレンドリー。英国オークス、愛国オークス、ヨークシャーオークス、英国セントレジャーとG1レース4連勝。そして前走の凱旋門賞も2着。国際G1になると、これほどの実績馬が来日するのか。日本のファンも、その参戦を喜んだ。
2番人気はオーストラリアのナチュラリズム。2走前のコックスプレートでの落馬・競走中止を挟んで4連勝。母国ではG1レース2勝を挙げている。
3番人気は同じくオーストラリアのレッツイロープ。1991年/1992年シーズンにおけるオーストラリアの年度代表馬に輝いている。
豪華メンバーとなったジャパンカップを引っ張って逃げたのは、日本のレガシーワールドだった。イギリスのドクターデヴィアスが直後につけ、ユーザーフレンドリーは3番手。1000メートル通過60秒3でレースは流れる。
4コーナーから直線へ入る。レガシーワールドが踏ん張りを見せる中、人気のユーザーフレンドリーなどがレガシーワールドに並びかける。馬群から抜け出したのは、その内側を突いたナチュラリズムだった。後続との差を広げようとするナチュラリズム。しかし外から1頭伸びてくる馬がいた。日本のトウカイテイオーである。ナチュラリズムに並びかけ、叩き合いに持ち込んだトウカイテイオーはクビ差前に出る形で先頭でゴール板を駆け抜ける。外国馬有利と言われた前評判のため、単勝オッズ10.0倍と評価が高くなかったトウカイテイオー。しかし日本の2冠馬が「世界」を相手に見せた勝利に、場内は大歓声に包まれた。
トウカイテイオーの父はシンボリルドルフ。1985年のジャパンカップ優勝馬である。ジャパンカップ史上、初めての父子制覇となった。国際G1となり、世界から注目を集めることとなったジャパンカップで、日本競馬史に残る名馬の血を引いた馬が優勝する。誇りに思った日本のホースマンは少なくなかっただろう。
第11回 ジャパンカップ 1991年
1991年のジャパンカップで、単勝オッズ1.9倍と断然の1番人気に支持されたのは、日本のメジロマックイーンだった。前走は1位に入線するも18着に降着となった天皇賞(秋)。降着となったものの、繰り上がりで優勝したプレクラス二ー以下に大きな差をつけて先着している。その強さを多くのファンは支持した。
2番人気はフランスのマジックナイト。2走前にヴェルメイユ賞を制してG1初制覇。前走の凱旋門賞でも2着に入っている。そしてランフランコ・デットーリ騎乗のドラムタップスが3番人気となった。
レースは公営・大井競馬のジョージモナークがハナに立って、レースを引っ張る形となった。メジロアルダン、フジヤマケンザンが続く。メジロマックイーンもその直後からのレースとなった。
1000メートル通過は60秒4。それほど速い流れではない。4コーナーから直線に入ったところでは、ほぼ一団の状態だった。直線での末脚比べのレースとなる。内ラチ沿いからメジロマックイーンが伸びてくる。日本のNO.1ホースがやはりここでも存在感を見せるのか?と思った瞬間、外から「世界の脚」を持つ馬たちが迫ってきた。マジックナイト、そしてアメリカのゴールデンフェザントである。この2頭がメジロマックイーンをあっという間に突き放してしまった。2頭の叩き合いは1馬身1/2差でゴールデンフェザントに軍配が上がる。メジロマックイーンはオーストラリアのシャフツベリーアヴェニューにも交わされ、4着に敗れた。
勝ったゴールデンフェザントは前年1990年のアーリントンミリオンの優勝馬。2つ目のG1タイトルは日本でのものとなった。引退後、日本に種牡馬として輸入され、1997年の青葉賞を制したトキオエクセレント、2005年の新潟記念、府中牝馬ステークスを制したヤマニンアラバスタなどの産駒が出ている。
