ジャパンカップ 1992年

第12回 ジャパンカップ 1992年

この1992年より、ジャパンカップは国際G1競走に認定された。来日する外国馬のレベルが一気に上がる。単勝1番人気に支持されたのは、イギリスの3歳牝馬ユーザーフレンドリー。英国オークス、愛国オークス、ヨークシャーオークス、英国セントレジャーとG1レース4連勝。そして前走の凱旋門賞も2着。国際G1になると、これほどの実績馬が来日するのか。日本のファンも、その参戦を喜んだ。

2番人気はオーストラリアのナチュラリズム。2走前のコックスプレートでの落馬・競走中止を挟んで4連勝。母国ではG1レース2勝を挙げている。

3番人気は同じくオーストラリアのレッツイロープ。1991年/1992年シーズンにおけるオーストラリアの年度代表馬に輝いている。

豪華メンバーとなったジャパンカップを引っ張って逃げたのは、日本のレガシーワールドだった。イギリスのドクターデヴィアスが直後につけ、ユーザーフレンドリーは3番手。1000メートル通過60秒3でレースは流れる。

4コーナーから直線へ入る。レガシーワールドが踏ん張りを見せる中、人気のユーザーフレンドリーなどがレガシーワールドに並びかける。馬群から抜け出したのは、その内側を突いたナチュラリズムだった。後続との差を広げようとするナチュラリズム。しかし外から1頭伸びてくる馬がいた。日本のトウカイテイオーである。ナチュラリズムに並びかけ、叩き合いに持ち込んだトウカイテイオーはクビ差前に出る形で先頭でゴール板を駆け抜ける。外国馬有利と言われた前評判のため、単勝オッズ10.0倍と評価が高くなかったトウカイテイオー。しかし日本の2冠馬が「世界」を相手に見せた勝利に、場内は大歓声に包まれた。

トウカイテイオーの父はシンボリルドルフ。1985年のジャパンカップ優勝馬である。ジャパンカップ史上、初めての父子制覇となった。国際G1となり、世界から注目を集めることとなったジャパンカップで、日本競馬史に残る名馬の血を引いた馬が優勝する。誇りに思った日本のホースマンは少なくなかっただろう。


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