ジャパンカップ

第30回 ジャパンカップ 2010年

30回目を迎えた2010年のジャパンカップ。単勝1.9倍と圧倒的な1番人気に支持されたのはブエナビスタ。前年2009年の桜花賞、オークスの2冠を制した牝馬の強さは、2010年も健在だった。春シーズンはヴィクトリアマイルで優勝。そして秋初戦となった前走の天皇賞(秋)も牡馬たちを寄せ付けずに快勝した。休養明け初戦という不利すら感じさせない強い内容の競馬だっただけに、この単勝1.9倍という評価も、誰も疑問には思わなかった。

ハナに立ってレースを引っ張りたい馬がいない中、シンゲンが押し出されるような形で逃げる展開に。1000メートル通過60秒7は、それほど緩い流れとは言えないものだっただろう。この段階で、時計のかかる競馬が理想の外国勢には苦しい展開となった。直線に入り、シンゲンに代わって先頭に立ったのは、皐月賞馬ヴィクトワールピサ。ラチ沿いを粘り込む姿勢を見せる。外からローズキングダム、そして更に外からブエナビスタが飛んできた。内のヴィクトワールピサを交わすと1馬身3/4差をつけて、先頭でゴール板を駆け抜けた。その後ろでは、ヴィクトワールピサとローズキングダムの2頭が並んでゴール。写真判定の結果、ローズキングダムがハナ差で先着となった。

しかしレース後、大騒動が持ち上がる。掲示板には「審議」の文字が、表示される。20分以上経過しても、なかなかレースが確定しない。その長い審議の結果、1位入線のブエナビスタはローズキングダムの走行を妨害したとして、第2位に降着。ローズキングダムが繰り上がりで、優勝となった。

審議に長い時間を要したこと、レース自体はブエナビスタの強さばかりが目立つ結果だったこと、更にはブエナビスタの鞍上を務めたクリストフ・スミヨンなどの外国人騎手による騎乗法の粗さなど、後々まで様々な議論を呼ぶレースとなってしまった。30回目という節目のジャパンカップは、そんな後味の悪さばかりが印象に残るレースとなった。

第29回 ジャパンカップ 2009年

2009年のジャパンカップで、単勝1番人気に支持されたのはウオッカだった。この年の春はヴィクトリアマイル、安田記念を連勝。しかし、この秋は毎日王冠2着、天皇賞(秋)3着とあと一歩のレースが続いていた。更に主戦騎手の武豊がリーチザクラウンに騎乗するため、クリストフ・ルメールに乗り替わることに。単勝オッズ3.6倍という、微妙な評価での1番人気だった。

前年2008年の菊花賞馬、オウケンブルースリが2番人気。2走前には京都大賞典を優勝し、前走の天皇賞(秋)は4着だった。天皇賞(秋)の2000メートルよりも、ジャパンカップの2400メートルの方が、この馬には適した条件であると言える。

外国勢では、イギリスのコンデュイットが3番人気に支持された。前走はアメリカのブリーダーズカップターフを優勝。7月にはイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを優勝している。世界各国で実績を挙げている馬である。

スタートしてから1コーナーまでは、アサクサキングス、リーチザクラウン、エイシンデピュティの3頭による先行争い。1000メートル通過が59秒0とやや速くなったのは、この先行争いが原因かもしれない。ウオッカはその先行争いの直後でレースを進めた。

4コーナーから直線へ。その直線の半ばでウオッカが先行争いを繰り広げていた3頭を交わして先頭に立つ。やはりウオッカが強いのか?しかし外から猛然と追い込む1頭がいた。オウケンブルースリであった。脚色が上回っているのは明らかにオウケンブルースリの方。ゴールは2頭が全く並ぶ形となった。写真判定となる。

写真判定の結果、軍配が上がったのはウオッカの方だった。その差は僅かにハナ。レース後、ピンチヒッターでウオッカの手綱を取ったクリストフ・ルメールの顔は、喜びよりも「ホッとした」という様子。日本で何度も騎乗経験のあるルメールは、この馬の強さも、ファンの多さも良く知っている。大役を引き受けた自覚もあったに違いない。やるべき仕事をしっかりと果たした。そんな想いだったのかもしれない。

これでウオッカは東京競馬場では6勝目。この中には牝馬としては歴史的快挙となった、2007年の日本ダービーも含まれる。東京競馬場がピッタリな、東京競馬場でこそ輝いた名牝だった。

第28回 ジャパンカップ 2008年

2008年のジャパンカップで1番人気に支持されたのは、3歳馬のディープスカイ。この年のダービー馬である。秋は神戸新聞杯を制したものの、菊花賞へは向かわずに天皇賞(秋)へ。3着に敗れたが、ダービーと同じ2400メートルなら逆転の可能性がある、と思ったファンは多かったのだろう。

ディープスカイの前年、2007年のダービー馬ウオッカが2番人気。この2008年は安田記念と、ダイワスカーレットとの激闘となった天皇賞(秋)を制している。この天皇賞(秋)はレコード勝ち。牝馬だけにその反動が心配されたのか、1番人気の座をディープスカイに譲ることになった。

3番人気はメイショウサムソン。この馬は2006年のダービー馬。このレースは3世代のダービー馬が顔を揃えるレースとなった。鞍上も、ダービーで手綱を取った石橋守が久々に務めることに。「ダービー馬対決」は盛り上がりを見せた。

レースは0秒5差以内に7頭が入る大激戦となった。ディープスカイ、ウオッカ、メイショウサムソンの3頭も、その大激戦の中にいた。3頭の中で一番外から追い込んだディープスカイに注目が集まる。しかし優勝馬はそのディープスカイではなく、その内側から伸びてきた馬だったのである。ミルコ・デムーロが乗るスクリーンヒーローが、横一線の叩き合いから抜け出して優勝。ゴールの瞬間、デムーロの手が高々と上がった。

スクリーンヒーローは、これが初のG1挑戦だった。2走前までは1600万下のレースを走っていた馬である。前走のアルゼンチン共和国杯を制した勢いでのジャパンカップ挑戦。初めてのG1でいきなりのタイトル獲得を果たしたのである。単勝オッズは41.0倍の9番人気。伏兵によるジャパンカップ優勝となった。

第27回 ジャパンカップ 2007年

2007年のジャパンカップで、単勝1番人気に支持されたのはメイショウサムソン。単勝オッズは1.8倍。前走の天皇賞(秋)を制して、この年は春秋の天皇賞制覇を達成。古馬NO.1ということで、断然の評価を集めた。

2番人気は3歳牝馬のウオッカ。この年、牝馬としては64年ぶりとなる、ダービー制覇を果たしている。同じ府中の芝2400メートルでのレースとなった。エリザベス女王杯を出走取消となった後の1戦だが、それでも2番人気。ファンの多い馬である。

3番人気はインティライミ。朝日チャレンジカップ、京都大賞典を連勝。その後は天皇賞(秋)ではなく、このジャパンカップに照準を合わせてきた。2005年のダービー2着の実績がある。

チョウサンが逃げて、コスモバルクが続き、その後ろをフサイチパンドラ、ポップロックと続く形になったこのレース。1000メートル通過は60秒1と、それほど速い流れではない。レースは直線に入ってからの、上がり勝負となった。横一線に大きく広がっての叩き合いとなる。その叩き合いの中には、メイショウサムソンもウオッカももちろんいる。しかし、馬群から抜け出したのはこの2頭ではなかった。馬場の内側からアドマイヤムーンが突き抜けたのである。先に抜け出したアドマイヤムーンに、ポップロックが迫り2頭が並ぶ形でゴール。メイショウサムソンも差のない位置で入線したが、この2頭からは僅かに遅れて3着。ウオッカは更に遅れて4着だった。

前の2頭は写真判定となった。結果はアタマ差でアドマイヤムーンの勝利。この年6月の宝塚記念以来のG1勝ちだった。この宝塚記念後、オーナーが近藤利一氏と吉田勝己氏の共同所有から、海外資本のダーレー・ジャパン・ファームに所有者が変更。海外資本法人で馬主資格を得た第1号のダーレー・ジャパン・ファーム所有馬ということで話題を集めていた。その注目馬が優勝した形となった。距離不安が囁かれ、人気を落としていたが、馬群の内側を巧みについた鞍上の岩田康誠の好騎乗が目についたレースでもあった。

第26回 ジャパンカップ 2006年

2006年のジャパンカップで、単勝オッズ1.3倍の断然の1番人気に支持されたのはディープインパクトだった。国内で敗れたのは前年2005年の有馬記念の1度だけ。当時敗れたハーツクライも出走していたが、陣営から喘鳴症の兆候があることが明らかにされて評価を落としていた。ディープインパクトにとっては、負けられないレースだったのである。

ディープインパクトの陣営にとって、負けられない理由がもう一つあった。前走はフランス・凱旋門賞に挑戦。3位に入線したが、レース後に禁止薬物が検出され、失格となる事態に陥った。競馬メディア、ファンそれぞれの間で、大きな議論となったこの事件。汚名を晴らすには、勝利という形で評価を受けるしかない。

そして、ディープインパクトはこのレースで最高の勝ち方で、その強さをアピールすることになる。道中は馬群の一番後ろという位置取りに、場内からも驚きの声が上がる。1000メートル通過は61秒1。コスモバルクがレースを引っ張る形で進んだこのレースは、かなりのスローペースとなっていた。そして4コーナーから直線へ。馬群の一番外を回る。かなりの距離をロスしているが、ディープインパクトにとってはそんな事は全く問題にならなかった。大外から全ての馬を交わして先頭に。明らかに1頭だけ、次元の違う末脚だった。そして当たり前のように、先頭でゴール。そして当たり前のように、鞍上の武豊が手を挙げる。

しかしその当たり前の強さを見せることで、ディープインパクトは一連の騒動を払拭してみせた。このレースの場内実況を担当したラジオNIKKEI・中野雷太アナウンサーの「全てを振り切ってゴールイン」というフレーズが、この勝利を最も的確に言い表していた。日本競馬史に残る名馬でが、再びその輝きを取り戻した瞬間だった。

第25回 ジャパンカップ 2005年

2005年のジャパンカップで、単勝1番人気に支持されたのは前年2004年の覇者ゼンノロブロイ。この2005年はイギリスに遠征し、インターナショナルステークスで2着。帰国後の天皇賞(秋)でも2着に入っている。

2番人気はハーツクライ。これまでG1では、2004年の日本ダービー2着、2005年の宝塚記念2着の実績を残している。前走の天皇賞(秋)からは、手綱がクリストフ・ルメールに託された。何とかG1タイトルを手にしたいところだろう。

3番人気には外国馬アルカセットが支持された。この年2005年のフランス・サンクルー大賞の優勝馬である。そのサンクルー大賞以来となる、ランフランコ・デットーリとのコンビが日本で実現。この騎手起用もファンに支持される理由となった。

レースは2003年の優勝馬タップダンスシチーがハナを切って、レースを引っ張る形に。しかし2003年とは違い、この日は好天で、しかも1000メートル通過58秒3のハイペース。4コーナーから直線に入る時も先頭をキープしていたが、坂の途中でさすがに苦しくなった。

タップダンスシチーが直線で失速し、代わりに馬群から抜け出してきたのは人気馬たちだった。まずはゼンノロブロイが先頭に。その内側からアルカセットが迫ってくる。2頭の叩き合いの結果、アルカセットが競り落として先頭に。しかしこれでは決まらなかった。更に後方からハーツクライが襲いかかる。ゴール前は人気馬たちによる激しい競り合いとなった。最後はアルカセットとハーツクライが並んでゴール。写真判定に持ち込まれた。

写真判定の結果を待つファンたちは、その前にあることで驚きの声を挙げていた。走破タイムは2分22秒1。ジャパンカップ史上に残る名勝負と呼ばれた、1989年のホーリックスとオグリキャップの一騎討ちの際に記録された2分22秒2の日本レコードが破られた瞬間だった。激しい戦いの跡を「数字」で表される。そして写真判定でその激戦の結果が明かされる。優勝馬はアルカセットだった。

優勝したアルカセットは予定していた香港でのレース出走を取り止めて引退。急遽、日本で種牡馬となることが決定した。この勝ちっぷりならば、種牡馬としての価値も高くなる、と判断されてのことだろう。そしてハナ差で2着と涙を飲んだハーツクライは、次走の有馬記念であのディープインパクトを破る大金星を挙げることになる。このジャパンカップは非常にハイレベルなレースだったと言えるだろう。

第24回 ジャパンカップ 2004年

2004年のジャパンカップはJRA創立50周年ということで、例年なら前日の土曜日に行われていたジャパンカップダートと同日に実施。JRAでは初めて、1日にG1レースが2つ行われることになった。一つ前のレース、ジャパンカップダートは武豊騎乗のタイムパラドックスが優勝。断然の1番人気、アドマイヤドンが2着に敗れたレースの余韻が残る中、ジャパンカップのパドック、そしてレースを迎えた。

単勝1番人気はゼンノロブロイ。前走の天皇賞(秋)で悲願のG1初制覇を果たしている。鞍上も前走と同じくオリビエ・ペリエ。G1連勝を狙う。

2番人気は道営・ホッカイドウ競馬所属のコスモバルク。地方所属馬であるが故のハンデを抱える3歳馬だが、その分だけ多くのファンを持っている馬だ。皐月賞2着、菊花賞4着。今度こその想いで手綱をクリストフ・ルメールに託して、決戦に挑む。

3番人気は同じく3歳馬のハーツクライ。ダービーでは2着に入っている。この馬もコスモバルク同様、G1タイトルまであと1歩の所まで来ている。

レースはマグナーテンが逃げて、コスモバルクが2番手に控える競馬となった。同じコースでのダービーでは折り合いがつかず、暴走して失速したコスモバルクだが、この日はしっかりと折り合いながらのレースとなった。ゼンノロブロイは中団から、ハーツクライはスタートで出遅れて、後方からのレースを余儀なくされた。

4コーナーから直線へ。コスモバルクが先頭に躍り出る。追いかけてきたのはゼンノロブロイとアイルランドのポリシーメーカー。ゼンノロブロイがあっさりと抜け出したの対して、ポリシーメーカーは脚が上がってしまったのか、コスモバルクの差し返しを許した上に、後方から追い込んできた菊花賞馬デルタブルースの追撃にもあってしまう。結局、ゼンノロブロイが先頭でゴールしてG1連勝。2着にはコスモバルクが踏ん張り、デルタブルースが3着に入った。

ゼンノロブロイはこの後、有馬記念でもレコード勝ちを決めて、この秋はG1レース3連勝。一気に頂点に上り詰めた。そしてコスモバルクはこれが1985年のロッキータイガー以来、19年ぶりの地方所属馬の2着。3着のデルタブルースも8番人気で制した前走の菊花賞がフロックではないことを証明する結果に。上位に入った3頭が、それぞれ意味のある結果を残したジャパンカップとなった。

第23回 ジャパンカップ 2003年

2003年のジャパンカップ当日、東京競馬場は朝まで激しい雨に見舞われた。午前中のレースの最中にその雨は止んだが、普段よりも時計がかかる馬場状態。ジャパンカップの時点で発表された馬場状態は重だった。

単勝1番人気はシンボリクリスエス。前年2002年と同様に、天皇賞(秋)を勝っての参戦となった。その2002年は3着。2003年こそはタイトルを獲得したいところだろう。

3歳馬ネオユニヴァースが2番人気に支持された。皐月賞、ダービーを制した2冠馬である。菊花賞は3着に敗れたが、ダービーと同じ府中の芝2400メートル戦で雪辱を期す。

3番人気はフランスのアンジュガブリエル。2002年、2003年のフランス・サンクルー大賞を連覇している。2002年には香港ヴァーズでも優勝している。

レースは雨による馬場への影響がはっきりと出た結果となった。スタートからハナを切ったタップダンスシチーが後続を大きく引き離し、大逃げのような形となる。一見、無謀なペースで飛ばしているようにも見えるが、実は1000メートル通過は61秒9。楽な流れでの逃げとなった。

マイペースで逃げるタップダンスシチーを、後続の各馬は直線に入ってもなかなか捕まえることが出来ない。離れた2番手を追走していたザッツザプレンティも、後方から追い込んだシンボリクリスエスやネオユニヴァースもなかなかタップダンスシチーとの差が詰まらない。タップダンスシチーが先頭でゴールした時、2着ザッツザプレンティとの差は9馬身。1秒5もの差がついていた。誰もが想像しないタップダンスシチーの圧勝劇となった。

タップダンスシチーはこれがG1初制覇。ファンの中には前年2002年の有馬記念で3コーナー手前からロングスパートを決めて、2着に入った競馬を思い出した者も少なくなかった。自らのペースでレースを進めた時には異常な程の強さを発揮する馬である。その強さを見せ付けられたジャパンカップとなった。

第22回 ジャパンカップ 2002年

2002年のジャパンカップは東京競馬場のスタンド改修工事に伴い、中山競馬場の芝2200メートルで実施された。コースが広くて直線も長い東京競馬場から、小回りの中山競馬場に変更されたことで、外国馬の陣営からは戸惑いの声が上がったと聞く。

そんな事もあって、単勝上位人気馬は日本馬が占めることになった。1番人気は3歳馬シンボリクリスエス。前走の天皇賞(秋)でG1初制覇を果たしている。同じ中山が舞台のジャパンカップでG1連勝を狙う。その天皇賞(秋)で2着だったナリタトップロードが2番人気。1999年の菊花賞以来となるG1制覇に期待が集まった。そして3番人気はジャングルポケット。前年2001年の優勝馬である。

しかしレースは大方の予想に反して、外国馬が1・2着を独占することになる。直線で満を持してシンボリクリスエスが外から末脚を伸ばしたが、その内側にいたファルブラヴとサラファンの2頭が譲らない。2頭が並んでゴールに入り、シンボリクリスエスは3着に敗れた。外国馬同士の1・2着は写真判定にその結果が委ねられた。

写真判定の結果はハナ差でファルブラヴが優勝。しかし、ここで意外なことが起きた。敗れたサラファンのドライスデール調教師が決勝線手前でのファルブラヴの進路の取り方に抗議、審議のランプが点いたのだ。場内は騒然となる。

審議の結果、その抗議は認められず、到達順位通りに確定。ファルブラヴの優勝が確定した。しかし、その後に流れたパトロールビデオを見る限り、どファルブラヴが一方的にサラファンに寄っていったのではなく、双方が寄り合ってぶつかりそうになっているように見えた。その審議が写真判定の結果が出た後に行われたことから考えて、サラファン陣営が僅かな可能性にかけて抗議したものに違いない。レースを行なっている当事者からのアピールで審議となるケースは、日本ではほとんどないだけに、この日の中山競馬場にいたファンは思わぬ形で「世界」を目撃することになった。

第21回 ジャパンカップ 2001年

2001年のジャパンカップで、単勝1番人気に支持されたのはテイエムオペラオー。前年2000年の優勝馬である。2000年はそのジャパンカップを含めて無敗を誇ったテイエムオペラオーだが、この年は大阪杯で4着、宝塚記念2着など、取りこぼす競馬が多かった。前走の天皇賞(秋)も2着。このジャパンカップはスッキリと勝つことができるだろうか?

2番人気は3歳馬ジャングルポケット。この年のダービー馬がダービーと同じ、府中の芝2400メートルの舞台に戻ってきた。今回の鞍上はオリビエ・ペリエ。世界の名手を迎えて、どんな競馬を見せるのか、注目された。

3番人気はメイショウドトウ。宝塚記念優勝馬である。その宝塚記念以来のレースとなった、前走の天皇賞(秋)は3着。叩かれた上積みに期待が集まった。

イギリスのティンボロア、アメリカのウイズアンティシペイションの外国馬2頭が引っ張る形で流れたこのレース。1000メートル通過61秒6という、緩い流れとなった。4コーナーから直線に入ったところでは一団に。ゴールまでの末脚比べのレースとなる。まず馬群から抜け出したのはテイエムオペラオー。やはりこの馬が強いのだろうか?しかしその外からもう1頭、伸びてくる馬があった。ジャングルポケットだった。テイエムオペラオーに一気に迫り、少し前に出たところがゴール板。ジャングルポケットがクビ差でテイエムオペラオーに先着。ダービー以来の勝利でG1レース2勝目を挙げたのである。

レースそのものは、いつものテイエムオペラオーの勝ちパターンの筈だった。しかし3歳馬のジャングルポケットにゴール前で差されての敗戦。そのテイエムオペラオーは次走の有馬記念でも5着に敗れている。今思えば、このジャパンカップが世代交代を意味していたのかもしれない。